人目もはばからず

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GWを失敗したアナタへ…

「あなた、浮かない顔をしていますね。
 仕事、家族、恋愛…う~ん。ちがいますな。
 …なるほど、このまたとない大型連休、その過ごし方を誤りましたね、あなた…。
 でも私の施しを受ければ、何もおそれることはないですよ」

占い師だと名乗った男はそう私に語りだした。
彼との出会いはゴールデンウィーク、連休最終日の正午、人がごった返していた表通りのはずれ。
薄暗い路地裏だった。
今後の人生において、リタイア生活を迎えるまでに果たして10連休なんてことがあるのだろうか…しっかりと…有意義に過ごしたいものだ…なんて思っていたら、あっという間に時は流れ、残り一日となってしまったのだった。
胸のざわめきが止まらない…なんてことだ…これといった思い出がない…。
悲しみで満たされた私は、身から溢れ出る負の感情から逃げるようにして、部屋を飛び出した。
輝きに満ちた新緑の五月が、暗い影の落ちた私に、命の美しさとはかなさをこれでもかと容赦なく浴びせてくる。
電車を乗り継いだ先に辿り着いた、人間の匂いが染みついた幸福の街。
連休を謳歌している、を演じることにすべてを捧げていまを生きる…そんな人混みの舞台に誘われるようにして、その練り動く大河に身を投じた。
始めはつくり笑顔を浮かべていたものの、どこに入っても、なにを観ても、なにを口にしても喜べない、楽しくない、幸せが感じられない。
路地のガラスを何を想うでもなく立ち止まって見つめる自分は、独り虚ろな目をして助けを求めていた。
コンビニに逃げ込むと大学生らしき二人の女が私の後ろで大きな声で話し始めた。

「あーバイトどうしようかな」
「え?これから?サボりなよー」
「どうしようかなーなんて言ったらいいと思う?」
「体調不良で…っていえばいいよ」
「そっか、じゃぁ電話するー」

その場で女はスマホを取り出すと耳に当てた。
コンビニ内に流れるBGMもレジの音も店員の掛け声も、飲料棚の扉をバタバタ開ける音も、なにもかも、体調不良という言葉にかき消されてしまう。
私も今日で消されてしまいそうだ。
どこにも居場所がない、逃げ道がない。…もう、明日から残業地獄の日々が口を開けて待っている。
ふらふらとした足取りで、コンビニを出て、薄暗い方へ、角を曲がってまた薄暗い方へ…。
当てもなく進んでいくと一人の男が狭い路地の脇に立っていた。
その男の前を横切ろうとした時、男が机と椅子を用意するのが目に入ってなんとなく振り返ったのだが、それが事の始まりだった。

「どうです?連休、楽しんでいますか?」

黒い身なりをした男は占い師だと自分の素性を語った。
何も言い返せない自分が居た。
私は、なんともったいない日々を過ごしたのだろう。
家でテレビを観て、時間を気にせず食っては飲んで、眠くなったら寝て…。
もっと他にしたいことがあったのに。やらなければならないことがあったのに。
数か月前から、少しずつ思い浮かんだことをメモ帳に書き溜めて、やりたいことリストまでつくっていたのに…。
しばらくの沈黙の間があり、気まずくなった私はその場を去ろうとした。
すると男は私の心情を読み取りつぶやき始め、失敗した事実は消せないが、崩れかけてもすぐに立ち直ることができる、そんな強い暗示をかければ、明日からの仕事、きっと澄み切った心で荒波を乗り切れますよ、と言った。
男が提示した5万円を躊躇なく財布から抜き出すと、その五枚の紙幣は男の懐へと流れるようにして消え去った。
椅子にすわるように命じられると、体は素直にそれに従った。
目を瞑らされ、それからしばらくの間、抗うことなく男の言葉を脳内に向かい入れた。


軽く肩をとんとん、と叩かれ、目を開けると辺りが暗くなっていた。
…いつの間にか眠りに落ちていたようだ。
男が私の目を見て言った。
「あなたがどんなに手痛い失敗を仕出かしてしまっても、伝説の彼の言葉が脳内に流れるようになっています。きっちりフォローしてくれますよ。安心してください。これからの人生、何もおそれることはありません」
その男の言葉を反芻しながら、おろおろと歩いていると自宅前にまで来ていた。
何だか長い夢を見ていたような、でもまだ夢の中のような。
上手く頭が回らない中、明日からの仕事に備えて早めに横になることにした。

 


……あれから、早くも一月が経った。
色々なことが…色々な失敗を犯した。
仕事、家族、恋愛…自分でも意識しないような軽いミスであっても、脳内には決まって彼の言葉が、…スーパースターの彼が引退を報告した、あの伝説の記者会見で語ったあの一言が、彼のそのままの声で脳裏によみがえってきた。

「…その体験は未来の自分にとって大きな支えになるんだろうと、今は思います」イキロー

プロ野球選手として、ドラフト下位指名ながらも高卒2年目から頭角を現し大活躍した。
毎年規定回数に到達するという安定したピッチングを見せると、27歳で海を渡りメジャー球団に在籍。
プロ生活25年を振り返った彼は「後悔などあろうはずがない」と言い切った。
そんな長き選手生活を先日終えたスーパースターの彼だが、通算防御率0.16という信じがたい好成績を残しながらも、通算成績が0勝0敗。
勝ちもしなければ負けもしない…。
そんな稀有なアスリート人生を歩んだ彼が引退会見で語った言葉。
私がくじけそうになると、なんどもなんども、彼の声で、彼の言葉がよみがえってくる。


「…その体験は未来の自分にとって大きな支えになるん(だぇ)ろうと、今は思います」

…どうしてあの占い師は、忠実に彼の会見時の言葉を、そのままを頭の中に刻み付けたんだろう。
毎回、若干噛むところが気になって…最近は眠れやしない…。
「…その体験は未来の自分にとって大きな支えになるん(だぇ)ろうと、今は思います」たすけて…「…その体験は…大きな支えになるん(だぇ)ろうと…」あぁ…
「…その…大きな…だぇ…」誰か…
「…その体験は未来の自分にとって…


ーENDー